代替不可能と主人公

とある文庫本を読み終えた。感想を簡潔に言うと、
①途中で薄々気づいてはいたけど、なるほどたしかにそうだ。
②文字でしか表現できない世界。絶対に映像化はできない。
③この物語の主人公は誰だったのか?
あたりか。

①について。僕が読んだ本はジャンル分けすればミステリ系に分類されるだろう。筆者から読者へジワジワと核心に迫る情報が提供される。正直ミステリ系はそこまで造詣が深いわけではないので、もしかしたら慣れている方々に比べたら気づくのが遅かったかもしれない。しかし、そんな私でも途中で気が付き、楽しめたのだから恐らくこれはミステリ系の入門小説ととらえることができるだろう。

②について。「紙以外表現不可能な物語」として某小説が近年話題になった。私はその物語を未履修であるため、詳細は知らないが、恐らく私が読んだ小説も同じで、絶対メディアミックス化は無理だろう、と思った。こういう言い方は無礼になることを予めことわっておくが、「オリジナル以上に拡がらないコンテンツ」を出版社がよくGoサインを出したな、と。一つ一つのコンテンツを経済的に大きくさせるのではなく、「大きくなるものは大きくし、小さくても面白いものは面白いものとして消費者に届ける」という出版社の姿勢が垣間見えた気がしたし、ある種私の理想に近い考え方だと思った。
最近よくある、人気のマンガや小説の実写映画化とそれに対する読者の反応に対して勝手に辟易していたため、そこに対して毒を流し込んだような気分になった。よくやった。よくやってくれた。よくやってくださった。

③「ドラえもん」の主人公は誰なのか?という議論を小学生のころにしたことを思い出した。やはりタイトルになっているからドラえもんなのか?しかし、のび太がいないと話は展開しないから、のび太なのではないか?いや、セワシが過去を変えるためにドラえもんを送り込んだのだからセワシが主人公だ、否それは主人公ではなく主犯だ。みたいな話が飛び交った。
私は当時から今に至るまで一貫して「ドラえもん」の主人公はのび太というスタンスである。私の中で主人公とは「話の中心になる存在」と定義している。「ドラえもん」はしばしば「のび太が日常で不満を持ち、ドラえもんに相談する→ドラえもんが道具を出す→のび太はその道具で不満を満足へ昇華させる→のび太がヘマし、オチる」という起承転結で展開される。大長編についてもオチ以外はほとんどの作品でこのフォーマットを応用させて展開させている。したがって、「のび太がいなければセワシはドラえもんを送ってこないし、のび太がこの世に不満を抱かなければ現存する「ドラえもん」は成立しないため、主人公はのび太である。という結論である。
僕の人生全体を俯瞰してみれば僕が主人公であるが、僕が友人Aについて語っているところだけを切り取って書籍化したらその本の主人公は友人Aになる。
「涼宮ハルヒの憂鬱」は誰が主人公か?キョンの目線で書かれているからキョンか?否、タイトルにもなっているし、先述したように話の中心になっているのはハルヒだからハルヒではないのか?僕は後者のスタンス。
閑話休題。僕が読んだ本もこんな感じ。誰目線で誰についての文章なのか。そもそもそれを確定させることは可能なのか。第三者視点で書かれている物語なのではないか。我々はそのステージの傍観者であり、演者の誰とも視点を共有できていないのではないか。最後に自分なりの結論は得たのだが、ネタバレになるため控える。
色々考えながら読むことができ、非常に楽しめた。

さて、最後に。一体私は何の本を読んだのだろうか?(本当に本を読んだのか?ソレっぽい感想を並べただけではないのか?)
真実は私のみが知っているが、敢えてここに公開する必要もないでしょう。感想を並べて作品を当てるゲームだと思えば新鮮に楽しめるのではないですか?

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