昔好きだったもの。今好きなもの。忘れていたもの。思い出してもう一度触れたけど今となってはそうでもないもの。
人間誰しもそういったものはある。
ミュージシャンやスポーツ選手はよく「幼いころに影響を○○さんから受けた」などという質疑応答(←横文字でなんて言うんだっけ?)がなされる。ああいう記事を見るたびに「はて、私は何に影響を受けて今の感覚を身に着けたのだろうか」と疑問に思う。
音楽でいえば邦ロックを好む時期もあったし、ボカロや歌い手等を中心としたいわゆるインターネット発音楽ばかり聴いていた時期もあった。洋楽も有名どころはある程度知っている。
道端に落ちているモノを見ると、「これは誰かが意図的に捨てたものか、風に吹かれてここまでやってきた浮浪者か」とか考えるし、ボロボロでぺったんこになって穴が開いた空き缶なんかを見つけた日には「こいつが誰かの口内に飲み物を運ぶ現役生だったころ、私は何を考えて生活していたのだろうか」と、勝手に空き缶と自分の歴史年表を見比べてしまう。
ああ、思い出した、インタビューだ。
物事に対する考え方の変容。こちらは比較的明確かもしれない。だいたいきっかけがある。アイツに嫌なことをされたから似たような人間が嫌いだ、とか、同担歓迎だったけれども、二次創作であまりにも解釈不一致が頻発したから同担拒否になった、とか。
もしかしたら「好きになるものについては理由なく好きになり、好きだったものは知らぬ間に飽き、自然と距離ができる」ことと「嫌いなものについては理由があって嫌いになり、動物的本能から嫌いになった理由までも明確に覚えていること」を対比させたいのかもしれない。
ああ、なんだか最初に書こうと思っていたことが文章を書き連ねていくうちに発散されてしまっていく。また考えが整理されたら文章を整えて再度書き連ねようか。恐らくそのときはまた別な考え方をもって文章を整理してしまうのだけれど。ただ、もっと深く考える余地はありそうである。