勝手に熟成させて期待しただけ

数年寝かせておいた本を読んだ。
正直、自分にはそれほど合わなかった。
その本を買った動機と書店、その他色々その時の状況を覚えている。
遠方に旅行に行った際、ホテルで読んだ新聞にその本が紹介されていた。どうやら作者の出身がそこの土地だったらしく、その作者と顔なじみの書店がホテルの近くにあるらしい。これはその書店で買うしかない。特段サイン本とかがあるわけでもないし、特にその作者が前から好きだったとかそういうわけでもない。その作者ゆかりの書店でその本を購入する、そこに意味があるのだ。
買ってから数年、数ページ読んだきり読んでいなかった。つまらないとかではなく、単純にもったいぶっていたのだ。
「今これを読むときではない、これは思い出の本なのだ」とテキトーな理由をつけて。
最近、積読が多くなったため、一気に諸々読み始めた。そしてついにその本を読んだというわけだ。
購入に際し、ここまでの偶然を孕むバックグラウンドをもった本は他になかった。当然、私の読む前のテンションはボルテージマックスであり、熟成ものの良質なウイスキーを初めて飲むような感覚だったというわけだ。
そこまで長い本でもなかったため、3時間弱で読み切った。文体も読みやすく、特に難しい点もなくスラスラと頭に入ってきた。
が、起承転結が薄いと感じてしまった。さらに、主人公の心情描写が少ないため、なぜそのような行動に出たのかが明確ではない。もう少し登場人物の深堀りをすれば私好みの作品だろうと思った。
私自身のその本に対するバックグラウンドがなければ単純に「こういう激しい起伏のないストーリーは初めて読んだな、こういうのもあるんだな」程度の感想だったかもしれないが、どうしても勝手に期待値を大きくさせてしまっていただけに、勝手に批判してしまった。
勝手に期待して勝手に失望して、勝手に評価する。この一連の行為は個人の主観が多分に含まれ、果たしてそれが正当な評価と言えるかは甚だ疑問ではある。しかし、広義的な芸術作品とは個人の主観による評価がむしろ重要だとも私自身思っている。自分の中での評価が高くても、人に勧めづらい作品(逆も然り)か否かを見極める客観的評価と2つの軸を持って評価対象にすべきかもしれない。

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